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zoom RSS 妻が突然入院することになったら!?

<<   作成日時 : 2010/09/03 23:31   >>

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皆様こんばんは。
皆様の健康具合はいかがでしょうか?



私は以前、このブログで「椎間板ヘルニアの顛末」という自分の入院体験レポート記事をUPしておりますが
(H9.8/13 http://taxi-adam30.at.webry.info/200908/article_4.html)、
今回は妻のケースです。






予兆はありすぎるほどありましたね。今思えば僕ももう少しアンテナを巡らすなり、親身になって考えていればもう少し楽に治療できたかも知れない・・・と反省するところがありました。
まず、原因不明の腹痛。妻(以下・澄香)なりに近所の医者に行き、処方された薬を飲んだりして痛みもそれで何とかなっており、まだ大騒ぎするほどのことではないと思っていたようです。
具体的に言うと、腹の鈍痛にはじまり、便が細くなってきたこと、食欲不振、下痢、そして激ヤセ。さらには生理不順。
こういった具合に病状が進行していったのですが、薬で痛みを散らすなりで2ヶ月くらいは我慢してました。

僕が反省しなければならないのは、明らかに痩せてきた時点で精密な検査を受けるように薦めなかったことですね。おかしい・・・と思いながらもね。こういった病気や痛みなどは人によっては我慢しすぎてしまい、病状を悪化させることになってしまいますから。
澄香も根は頑固なところがあるし、子供もまだ幼なかったし(兄10歳、妹7歳)仕事もしてたので簡単に家を空けられなかったですから、僕が面倒を見て無理矢理にでも病院に行かせれば良かった、と後々後悔したものです。





さて、そんな調子で痛みが始まってから2ヶ月以上過ぎた初秋のある日のこと。
仕事中、お昼前後の時間帯だったか、携帯に澄香から電話。
「お腹が痛い・・・帰ってきて」
もう自分だけで病院に行けないほど痛みがあるらしく、これは大変だ、と取るもの取らず急いで帰宅。自宅マンションへ駆け込んだ時、同じマンションの奥さん方が集まっており、僕を見るや「奥さんどうしたの?今救急車で運ばれて行ったけど・・・」と心配げに声をかけてきた。僕も急いで帰ってきたと言っても、電話を受けてからすでに一時間半は経っていたので、我慢できなかったんだなとすぐに理解し、「ええ大丈夫です。僕もこれから病院に行きますので・・・お騒がせしてすみません」と言って自室へ戻るとちょうど娘が帰宅。娘を連れてすぐに搬送された病院へ向かう。

搬送された病院の初期診断では「骨盤腹膜炎」と診断された。子宮付近が炎症を起こして膿が溜まっているらしく、すぐに手術が必要だということ、しかしその病院では産婦人科は無く、産婦人科のある別の大病院で処置が必要とのこと、そしてすぐさま救急車で移送。
そして緊急手術、そのまま入院となった。
手術及び術後検査で一週間後に正式に病名が判明。病名は大腸癌。
もう少し詳しく書くと、大腸癌による骨盤腹膜炎、リンパ節転移陽性、大腸〜直腸にかけ病巣あり、癌の進行ステージVa。(癌の進行度を説明しているブログ記事はこちらへ→http://blog.goo.ne.jp/metabobuster/e/a70332d781caf5b942af05cb5f047592?st=0
今は昔のように病名を隠したりごまかしたりせず、ありのまま患者に告げるのだそうだ。僕は宣告の翌日に病院に訪れた際、直接澄香から病名を聞く。入院した際、もしかしたら・・・と僕自身は思っていたので特段に驚きはなかった。むしろ、やっぱり・・・というのが率直な感想。と同時にのんびり構えてた自分を反省することに。
一ヵ月後に再手術を受けることに。



澄香が入院してからというもの、僕の生活は極端に忙しくなった。当時の僕は夜勤、昼勤を兼務しており、その時間も普通ではありませんでした。昼勤の時は朝5時出社〜16時退社、夜勤の際は全く逆で17時出社〜翌4時退社。昼勤の時は子供らの朝食を用意して出掛け、(学校給食が無い日は昼飯も)帰宅してから掃除洗濯、夕食の準備。夜勤の際は夕食を用意してから出掛け、帰宅してから洗濯し子供らが起きるのを待って朝食、子供らが登校した後掃除などをしてやっと自分は就寝。
仕事中においても子供らから頻繁に電話がありました。時に兄妹ケンカして泣いてたり、あれどうするのコレどうなってるの?と忙しく、正直大変でしたね。いなくなって分かる妻の偉大さと大切さですね。
そんな中でも欠かさず付けていたのが金銭の出納と食事の献立内容の記録、そしておもに子供らが手伝ってくれた内容を記した日記でした。これらは今も捨てずに取ってあります。
子供らが不器用に風呂掃除してくれたり掃除機かけてくれたり皿洗いしてくれたり・・・は実際助かりましたし、僕にも澄香にも改めて勇気をもらいました。




日々の食事については父親が中華店を経営していたのでその時に教わった調理法がかなり役に立ちました。どんなに面倒でも時間がなくても、インスタントやレトルトには極力しないように配慮してました。入院が長期化するのは分かってましたし、食事の偏りなどで子供らが体調を崩すのが一番怖かったですからね。栄養士ほどでは勿論ないが、日々バランスを考えて献立を考えてました。食事が美味しくない事で無用なストレスを与えることにもならないように味にもかなりこだわって手間隙かけてました。でも入院初期の頃は近所の奥さんが頻繁に夕食のおかずを作って持ってきてくれてましたが、入院も長期化するし、僕の考えていた栄養バランスが極端に崩れてしまう、つまり子供ですから好きなものしか食わなくなってしまう恐れがあったため、丁重にお断り申し上げました。そりゃ僕もやらなくて済むのなら有難いのは事実でしたけど、甘えてしまってはいけないですし、何より家族みんなで回復のために頑張らなきゃいけないですからね。


澄香の病室へ行ったときにそれら献立表や金銭出納、日々の日記を持って行き、生活上の注意や調理法法で分からないことを教えてもらったりと、その他細かく相談しながら日々の生活を進めていきました。
ちょうどこの頃、歌手の本田美奈子さんが白血病で亡くなられましたね。僕が病室へ行く際はいつも新聞や本を持って行ってあげてたのですが、そのニュースが一面に載っていた新聞は何故か持って行く気になりませんでしたね。私も・・・なんて思われたくなかったから、と退院後に笑って話したっけ。




そして一ヵ月後、第一回目の手術。このさらに一ヵ月後にもう一度手術することになっていたが、何故二回手術するのか、その理由を忘れてしまいました。どかにメモを取っておいたはずなんですが、探したけど出てきません。
とにかく、二回必要だとの事でまずその一回目。
その手術後、澄香のお腹の真ん中に穴が空けられ、袋が取り付けられました。何の袋?大腸から直腸に便を通さないようにするための袋、つまり人工肛門、便の排出用袋です。
翌日、目が覚めた香澄はこの袋を見て愕然とし、その日は一日中泣いてました。術式内容は事前に聞いてたけど、やっぱり実際にそうなってみるとショックなんですね。そりゃそうだよなあ・・・なんだかんだ言っても女だし。ちゃんと取り付けられていても、近づくと少し臭ってしまいますし。
でも泣いてばかりはいられない、また一ヵ月後に手術がある。一ヶ月の間、きちんと割り当ての食事を取り、歩くなど出来るだけ運動をして体力を回復させておかなければならないのだ。

一日目は泣いてはいたが、その後の澄香の入院生活は他の患者さんよりも誰よりも勤勉でした。
よく食べ、よく歩きまわって体力回復に努めていました。


そして二回目の手術。
この二回目の手術で癌の病巣を取りさらい、人工肛門を閉鎖しました。
手術は午後イチからで終わったのが19時頃だったかな・・・?
とにかく病院内で長い間待たされました。
ようやく術式完了し、担当医に呼ばれて実際に切除された肉片を見せてもらいながら術式経過の説明を受けました。
肉片はアルコールで綺麗に洗ってありましたので特に気持悪いものではなかったのですが、テレビや図鑑などで見かけるミミズが這ったような癌の病巣がはっきり見てとれました。切除された肉片は肝臓腫瘍約三センチ角、大腸約10センチ、膣壁直径7〜8センチほど。他に腹膜播種がみれらたものの、切除不能。但し、その後の培養検査で腹膜播種と肝臓の腫瘍は悪性でないと判断されました。
ともあれ、無事に手術も終わり、何事も起こらなければ再手術も必要ないとのことでした。
後日、お腹を見てみると便袋は無くなっておりこれには一安心、でも手術跡はかなり大きく残ってました。いわゆる鳩尾あたりから股間近くまで縦に20センチくらい切った跡、大腸に沿って横に10センチほど切り開いた跡が残っており今も痛々しく傷は残っています。どうせ見るのは俺くらいさ・・・と軽口を叩いて励ましましたケドね(笑)温泉とか行ったらどうすんのさ!・・・行ったけど。でも気にしてたってしょうがないよ。
でもね、最初に傷跡を見たとき、俺が顔色一つ変えなかったのが、澄香には有難かったらしいです。
僕にしても入院中から退院後の検診等には出来る限りの協力をしたつもりだし、澄香もそれをわかって治療に専念できた、と言ってくれましたので、以後夫婦関係はさらに良くなったと申し添えておきます(笑)子供らも頑張ってくれましたから、家族としての絆はより深くなったのではないでしょうか。




そんな具合で入院生活も三ヶ月に渡り、いよいよ退院。
退院後は化学療法、つまり抗癌剤投与が必要でした。抗がん剤は定期的に病院泊りがけでの点滴とするか、錠剤服用か選べましたので澄香と相談の上、錠剤を服用することにしました。
錠剤の場合は毎日きっちり6時間おきに服用を4週間続け、一週間服用を休んでまた同様に繰り返し服用。それを5年を目処に繰り返します。


澄香の場合は4年間飲み続け、その後の血液検査等の数値の回復を見て抗がん剤の投与は終了、そして今年、やっと術後満5年を迎えました。
ガン患者によく言われるのが、回復後満5年以内は再発の注意・・・ということでしたので、この5年間再発もなければ抗癌剤の副作用における健康障害等何事もなく過ごせたことは非常に喜ばしいことです。




そんな次第で澄香が日々回復するにつれ僕も心の余裕が出来てきたし、何より時間を無駄にしないことを覚えましたね。今は作曲とかして遊んではいますけど、僕のようなダメ人間でも何か世に残したいと思ったからそれを一生懸命やってる訳だし、それが出来る喜びは忘れちゃいけません。だからこそメッセージ性の強い動画なども作ってる訳でね。そういった初心というか、頑張ったことを忘れないようにと、自分の為もあってあえて今回ブログ記事としてUPいたしました。
そしてここで癌は完全に治癒したと、感謝を込めて申し上げたい。また、現在同様に闘病生活を送っている方々がこれを読んで、ホンの少しでも勇気となれば幸いであります。


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コメント(19件)

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そうですか。そんなことがあったのですか。大変でしたね。言葉にしてしまうとそれだけなんですけど、御苦労は大変なのものであったと思います。

ご存じのようにボクも救急車乗った口ですが、最初自分の病気が分からない状況ではいろいろ考えてしまいます。妻のこと家のこと自分のことなど・・・・で生きていくことの意味も知ったような気がします。

祐太郎さん、奥様とこれからの人生の二人三脚頑張ってくださいね。貴重なお話ありがとうございました。
ターボ
2010/09/04 00:39
一瞬先は闇と申しましょうか、健康的に生きたいものです。
まぁ、ストレス社会の現代人、何かしら不調を持っていますね。
そんな私も、去年より精神的に不調となり、ちょっくら通院中。
失礼ながら、通院するまでは、疲れきったおっちゃん、おばちゃんばっかかと思っていましたが、意外と、若い女の子が多いのねん。
TK
2010/09/04 01:35
はじめまして。
今私のブログにコメントのお返事を書いてこちらへ来ましたがブログを読んでびっくりしてしまいました。たいへんだったのですね・・・。
奥様も家族もつらい思いをされたとおもいますが、病気すると、健康な間はわからない事大切なことや見えないものに気づくことでしょうか・・・。
また、おじゃまします。
m's garden
2010/09/04 08:15
とても大切なお話ありがとうございます。

読みながら…私の入院した頃の家族の様子を思い出していました。
(私も緊急でしたので・・・。)
私の場合、油断と もう少し我慢できそうと
無理を押し通そうとした事でした。
そう思うと、どんな病気にも共通するものがあるのかも知れません。
「あの時どうしてたら。。」と思うのは
患った本人と家族両方共 思いが過ります。
が、今の現状として「向かう事」の方が
ずっと大事で。
文面を読んできて、そう進んで来られて
良かったと思いましたよ。

当たり前の事に きちんと気づけた
それが大事で、それで充分だと思います。
それがあるから、今後どうするかがよ〜く解り、例えば この様に話すことで、少し悩んでる気落ちしている方にも勇気が伝わりますから。。

前に言ったっけな?
同室の方が仰ってた事ですが、
「家族に迷惑掛けたとか思わず、
この機会にいろいろ覚えてくれたと思いなよ。
私は少しえらいな(疲れ)という時に今度は無理せんと、家族に頼むことにした。その方がええから。」
(万が一があった時、身が覚えているからね。)
・・・同感です。
マリルン
2010/09/04 15:59
こんばんわです。
そうですか、そのような大きな出来事が
あったとは・・・・
勝手ですが奥さんの泣かれた日、
そして祐さんが家事に仕事そして
奥さんへの心使いの日々等等。
文章を読みながら頭の中で浮かびました。
明日を信じて闘病された奥さんと
それを支え励まし
この困難を乗り越えられた祐さんと
そのご家族・・・・
5年が過ぎもう大丈夫とありました。
よかった、本当によかったです。

次のコラボのシナリオを今構成していますが
テーマは家族です。
この記事はしっかり受け止めました。
その上でしっかり構成をまとめたいです。
shiori
2010/09/04 22:59
 ターボ様

こんばんは。ありがとうございます。
この9月でちょうど5年になるので、今回UPしてみました。今でも傷は残ってますけど、おかげ様でこうして完治宣言させていただくと感慨深いものがありますよ。望んだわけでは勿論ありませんが、これも貴重な経験として自分としても家族としても今後の財産になると思ってます。

そうですね、救急車に乗ったり、いざ入院となってみますと、状況が詳しくわからない間は本人だけでなく周りも不安になりますよね。正直言ってその時は最悪の事も考えましたが、努めて冷静に対応しようと心がけてました。確かにいろいろありましたが、仰るとおり自分が生きる意味も再確認したような気がします。
今回はこのような記事にお付き合い下さいましてありがとうございます。
祐太郎
2010/09/05 02:36
 TK様

こんばんは。
そうですね、一寸先は本当に何があるかわかったものではないですね。ウチのは酒もタバコもやらず、健康を絵に描いたような規則正しい生活を送ってたのになんで?なんて思ったりもしました。
そういえばTKちゃんも昨年末あたりからちょっと不調を訴えてましたね。くれぐれもご自愛なさってくださいね。
今は病院行くと、若い人も多いですよね。それだけストレス社会ってことなのかな・・・?つまらないニュースが多く夢のない社会では無理もないのですかね。
祐太郎
2010/09/05 02:43
 m's garden様

いらっしゃいませ。ご丁寧にありがとうございます。
折角来ていただいたのにいきなりこのような記事で申し訳ありません。普段はもっとふざけた内容が多いので気を使うことはないのですが、今回はタイミングが悪かったですね。大変失礼いたしました。

でも仰るとおり、日々の何気ないことや健康というものは本当に有難いことと思います。そして結果的に当たり前過ぎて見えなかった物や大切なものが確認できたことを思えば満更悪いことばかりではなかったと思えます。どうもありがとうございました。またお暇な時にでもお立ち寄りいただければ嬉しいです。
祐太郎
2010/09/05 02:51
 マリルン様

こんばんは。
はい、いつだったか記事でそのような台詞を見た記憶がありますよ。病気にもいろいろな種類と苦労がありますけど、やっぱり一番つらいのはそのかかった本人ですよね。だから痛い・つらい思いをしてるのにその上家族に迷惑かけて・・・なんて言ってちゃダメだ、と当時僕もよく言ったことを思い出しますよ。
書いた通り子供らの世話とか料理とか金銭面でも苦労したのは事実ではありますけど、それがあって学ぶことも出来ましたし、見えなかった物がしっかり見えましたからね。結果的にお金を払っても学べないような貴重な経験が出来たと思ってます。もっとも、無事にこうして完治しました、と言える状態だからこそそう思える部分もあるんですけどね。

ちなみに入院生活が長くなり、いよいよ退院で何が食いたい?と訊ねたら「ラーメンが食べたい」だって(笑)病院食はどこへ行ってもおいしくないからね〜。病気に対して無理や我慢はダメってことと、そして普通に食べたいものが食べられることは幸せってこと、学んだのはこの二つのことかも知れないです(笑)どうもありがとうございました。
祐太郎
2010/09/05 03:16
 shiori様

こんばんは。どうもありがとうございます。
いえいえ、今回のような記事にお付き合いいただき、逆に恐縮するくらいですよ。勿論、今後また何があるかはわかりませんが、おかげ様で無事に満5年を迎えることが出来ましたし、今では全く普通に生活出来てますから、有難いことですよ。
終わってみればいい経験ではありましたし、見えないものが見えて大切なものが確認できたことは貴重だったと思いますが、正直言えば二度と経験したくないですねえ・・・当たり前だけど。

次のコラボのテーマは家族ですか!?どういうものか想像がつかないけど楽しみですね。くれぐれも肩肘はらず、奥さんを大事にしてあげてね。
祐太郎
2010/09/05 03:35
貴重なお話をありがとうございました。
また、奥様のご回復心よりお喜び申し上げます。
娘ががんセンターで看護師をしていますが、やはり、治そうと頑張る患者さんは回復も早いそうです。
ご夫婦で乗り越えられた時間が、何よりの宝物ですね。
これからもお大事になさってください。
南天
2010/09/05 17:58
こんばんは♪
祐太郎さん…驚きました(゚д゚;) 大変な時期があったんですね。
タイトルで…私が脳梗塞で運ばれた時のことを思い出し…あの時あんにゃ郎はどうだったかなぁ〜と…嬉し泣きの顔を見ました。
祐太郎さんの椎間板ヘルニアの記事…愛妻様澄香さんの大変な病気の発症から完治まで…読み終わって良かった〜と体の力が抜けてしまいましたよ!
澄香さんの人並み以上の頑張りと祐太郎さんのデカイ愛情があって今のご家族の幸せがあるんですね♪
夫婦の真髄をみました…お互いを思い遣る気持ちはどんな辛い事があっても乗り越えられるし…楽しむ事も出来ます。
余談ですが私達は娘達が…子供の頃数年間大きな手術を繰り返してね…あんにゃ郎と手に手を取って乗り越えました〜口じゃ言えないほど辛かったわ…二十歳代あんにゃ郎残して3人で逝こうとしたこともあったもん…生きてて良かった…今があるもの。
祐太郎さん♪これからは苦労した分良い事がいっぱいあるよ♪
特に澄香さんを大事にしなきゃ〜それが男だ!ってあんにゃ郎が言いそうです〜♪
私はトホホ…父と母二人とも癌と仲良くしていますので…しっかり見届けなくちゃなりません(^‐^*)
お互いに頑張りましょ〜〜♪
なんか…くじけそうになった時に沸々と元気が出てくるような歌…曲…聴きたいよ〜〜♪




ぶーまま
2010/09/05 21:21
長〜いおコメになっちゃいました…
ごめんなさい…m(_ _;)m
ぶーまま
2010/09/05 21:23
 南天さん。

こんばんは。
ご丁寧にありがとうございます。また、このような長文の記事にお付き合い下さりありがとうございます。

おかげ様で無事満5年を迎えられました。仰るとおり、ウチのは回復するための努力を随分してたので同様の病気の方々と比べても回復が早かったと担当医から聞いてます。また、家族みんなで頑張れたのは本当に良かったし貴重な財産となりましたよ。
どうもありがとうございます〜!
祐太郎
2010/09/06 03:17
 ぶーままさん。

こんばんは〜。
どうもいろいろとありがとうございます。僕も先程ぶーままさんの記事「フィッフィッフィ〜」シリーズを見てきました。その上娘さん達の小さい頃もですか?どのような病気かわかりませんけど、身内、それも自分の子供達のつらい顔を見るのは嫌ですよね。そういうことを乗り越えられてきているのならぶーままさんは強いですね。お世辞じゃなくて尊敬します。
誰でもそうですけど、大なり小なり何かと大変な時期を乗り越えられてるのですね。無事に回復して終わってみれば笑い話で済むこともありますが、またいつ何時何が起こるかわからないですからね。そういう意味で普段の生活から無駄に過ごさないよう努めたいものですよね。
あんにゃ郎さんには負けるかもしれませんが、僕も自慢じゃないですけど愛妻家です(笑)それが男ですよ〜♪ホントに今後ともお互い頑張りましょう♪
長いコメありがとうございます。おかげ様でしっかり響きましたよ。嬉しいです。
祐太郎
2010/09/06 03:36
イヤイヤ大変でしたね。
大手術でしたね。
一時にしても、若い人が人工肛門はショックだったでしょうね。
我が家も、妻が乳がん・卵巣がん、大腸がを結婚後に体験してきましたが、高校生の時には結核で4年も留年して卒業したと聞いたときにはその強さに感激したものです。
私自身もクローン病という難病を二十歳過ぎに発病以来今も治療を継続していますが・・・人間・なかなかしぶといもので生き続けていますよ。
大事にしてあげてくださいね。
Tatehiko
2010/09/06 13:47
こんばんは〜。こんなことがあったのですか。奧様もお若い時に大きな病にかかってしまいましたですね。病気の辛さは本人が一番よく知ってるのでしょうが、お子さんのことも含めて、入院も手術も祐太郎さんの細かいことまで気を使ったいろんな行動があったからこそうまくいったのでしょう。
5年がへまして完治したことのブログで、よく書かれました。また奥さんも祐太郎さんやお子さんの応援があって完治したと、心から感謝の気持で想ってらっしゃると思います。みなさん頑張りましたね。
さとし君
2010/09/06 18:49
 Tatehiko様

どうもはじめまして。いらっしゃいませ!
皆様のいろんなお話を伺いますと、ウチのケースは無事に治って現在何事もないのでかなりマシな方なんでしょうね。Tatehiko様は奥様ともどもいろいろとご苦労なさっておられるようで、強いというか、一口では言い表せませんが素直に尊敬いたします。またこれからも是非がんばっていただきたいと思います。これはお互い様ですけど。
今回はお訪ねいただき嬉しいです。今後ともよろしくお願い申し上げます。
祐太郎
2010/09/07 03:24
 さとし様

どうもこんばんは。
おかげ様で今回は無事に完治と言うことで記事とさせていただきました。まずは長文にお付き合いいただきありがとうございます。
本当にね、いつ何時災難や病気などがあるかわかりませんが、こうして無事に済んだことだから言える事ですけど、終わってみれば悪いことばかりではなかったな・・・と思います。出来ればこの先も身内が痛む姿は見たくはありませんが、少々のことなら乗り越えられる強さを得られたかな、そんなふうに思いますね。
カミサンについては今後少なくとも20年保証付きの愛が得られたかな(大笑)
祐太郎
2010/09/07 03:33

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